石川桜所関連エントリー

五日市憲法草案 その1

... はじめは、医者になりたかったのに、師であった石川桜所が将軍を補佐した罪で、明治元年に投獄されたので挫折してしまうのですから。その後は、色々な人の所へ教えを請うのですが、どれも彼の心を満たすことはできない。 ...

五日市憲法草案 その1

石川桜所とは?

石川 桜所(いしかわ おうしょ、文政8年(1825年) - 明治15年(1882年)2月20日)は、幕末の蘭方医。幕府奥医師。通称玄貞。実名良信。桜所は号。初名は千葉山庵。
文政8年(1825年)、陸奥国登米郡桜場村(現・宮城県登米市)に生まれる。安政5年(1858年)、大槻俊斎・伊東玄朴らと図り、お玉が池種痘所設立。文久2年(1862年)8月23日、陸奥国仙台藩医より幕府医師に登用され、奥医師となる。同年12月16日、法眼に叙せらる。慶応2年(1866年)12月18日、法印に昇叙、香雲院と号す。蟄居する徳川慶喜に従い水戸に下り、仙台に帰った。明治以降は松本良順に招かれ兵部省軍医寮の次官、陸軍軍医監などを勤めた。明治15年(1882年)没。谷中霊園に葬る。
幕末の人物 いしかわ おうしょ

石川桜所の詳細