市橋 長和
市橋長和は幕末の近江国仁正寺藩(西大路藩)の第10代目(最後)の藩主 出羽国庄内藩第8代目主酒井忠器の子で 第11代目藩主酒井忠篤 の叔父に当たるんです! 官位は従五位下⇒正五位⇒正四位で壱岐守⇒下総守となります!! 文政4年(1821年)生れで ...

市橋 長和(いちはし ながかず、文政4年(1821年) - 明治15年(1882年)1月17日)は、近江国 近江仁正寺藩(西大路藩)の第10代(最後)の藩主。出羽国 出羽庄内藩主・酒井忠器の子で、酒井忠発の弟に当たる。官位は従五位下。正五位。正四位。壱岐国 壱岐守。下総国 下総守。
幼名は鋼三郎。はじめ長和と名乗っていたが、後に長義と改名する。先代藩主の市橋長富に嗣子が無かったため、その養嗣子となり、1844年10月7日の長富の隠居により後を継いだ。1853年、ペリー来航から国内が政情不安に陥ると、軍備の増強の必要性を感じ取って火薬の製造を行なっている。1862年4月28日、仁正寺藩を西大路藩と改名した。
市橋長和の詳細