大河内輝声関連エントリー

隠者の住み処

前回に続いて、大河内輝声さんです。 やあ、ハンサムさんですもの。1回こっきりでお終いにしちゃあもったいない。(笑) 大隈関係文書に輝声さんの手紙が所収されていて、早大図書館のサイトで画像を見ることができますし ...

隠者の住み処

備忘 町田にいさん34

... 「大河内文書」とは、サブタイトルに「明治日中文化人の交遊」とあるとおり、大河内輝声(てるな)さんと清国から来日した文人たちとの筆談録。 大河内輝声(てるな)さんは、最後の高崎藩主。輝声さんについては、本の冒頭に紹介があるのですが。 ...

備忘 町田にいさん34

明治大学校友会群馬県支部第5回定時総会に行く

... 総会に先立って行われた一般公開講演では、明治大学法学部教授の徳田武さん(前橋市出身)が「高崎藩主大河内輝声(てるな)の日中友好」と題して、歴史の片隅に忘れられた興味深い話をされました(写真は講演する徳田武先生)。 ...

明治大学校友会群馬県支部第5回定時総会に行く

黄遵憲と時務報

... 黄は、伊藤博文、榎本武揚、大山巌、重野安繹、亀谷行、蒲生重章、岡千仭、森槐南、大河内輝声(源輝声、みなもとのてるな)その他と詩文の交わりをしている。この間、日本事情を研究し、明治12年「日本雑事詩」を著わした。 ...

黄遵憲と時務報

大河内輝声とは?

大河内 輝声(おおこうち てるな、嘉永元年10月15日 (旧暦) 10月15日(1848年11月10日) - 明治15年(1882年)8月15日(グレゴリオ暦) )は、幕末の上野国高崎藩主。
松平輝聴の子。母は堀田正睦の息女。幼名は恭三郎、諱ははじめ輝照(てるあき)と称する。
万延元年(1860年)8月24日、家督を継ぐ。文久2年(1862年)12月11日、従五位下・右京亮に叙任される。
慶応3年(1867年)9月6日、奏者番に任ぜられ、10月29日、陸軍奉行並となった。
明治元年(1868年)4月、松平姓をあらため、本姓の大河内に復する。翌年、高崎藩知事に任ぜられる。明治4年(1871年)に廃藩置県を迎えた。
江戸の大名 おおこうちてるな
譜代大名 おおこうちてるな

大河内輝声の詳細